桐箪笥の百貨店大バーゲン
終戦後、失った生活用品をそろえ、最早戦後ではないといわれる時代にもなると、大阪商人の大丸デパートで家具の大バーゲンが人気を博した。
当然、他のデパート三越、高島屋、東横、西武なども販売競争に参加したのである。
この当時は、現在の島忠、大塚家具などの大型家具店はまだ現在のような体制ではなく、宮田家具チエン等レベルの家具店しかなく、大きな家具催事可能な販売機能は大型百貨店が持っていたのである。
というわけで、最初は大丸デパートがダントツの人気を得ていて、その花形が販売促進要員でアルバイトのマネキンとして販売促進をしていたのである。
その中には、夜は楽団を組み演奏をしていた人たちもいたと聞いたものだ。
販売員エピソード
そこで笑えないエピソードとして、一人のマネキンが、
「お客様、これは箱物家具で税法上20%の税金が節税さてれいる箪笥です
ほら、この引き出しの底板は桐のムクイタなんですよ。
コツコツと桐の底のムクイタをたたいて見せて、それに引き出しの箱の側面は桐材がつめてあるんです。
だからお得な買い物なのです」
と誘われて納得して購入をするのであった。
当時支払いは、口座払いか、現金払いで、現在のようにカード払いの仕組みはなかったので、この購入を決めたお客様は、後日現金持参で支払いに来た。
ついでにもう一度購入を決めた収納セットの前に立ち止まり、ああ、やっぱりこれでよかったっと。
すると、今度は昨日と違うマケキンが来て、箪笥の説明を始めたので、
「過日、私はこれを買いましたっ」
と言うと、
そのマネキンは、
「それはお客様、残念でした。
これは底板が桐のムクイタなので、使ううちにたぶん割れますよ!
桐のムクイタですから・・・。」
っと説明したという。
この決着として、過日、販売を担当したマネキンが、
「お客様、たんすの底板は割れることもあります。
桐のムクイタですから、桐のムクイタは着物の保存には良いばかりか、将来たとえ割れても十分修理ができます。
それが桐のムクイタのいいところです。」
と説明ができていれば***その客様は満足できたことでしょうに!
桐箪笥無税
当時の物品税が、諸民の消費生活にも、混乱を与えていた一例である。
その当時、地元新潟の桐箪笥製造業者の陳情に、
元田中内閣総理大臣は
「よしゃわかった」
といい、地元製造の桐箪笥に伝統工芸品の綱をかぶせて、桐箪笥を無税としたのである。
その後、政府は調査研究を重ね、平成元年に「物品税を消費税」へと税務体系を変更したのである。
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